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東京高等裁判所 昭和47年(ネ)1089号 判決 1974年4月15日

控訴人 内山三郎

右訴訟代理人弁護士 二宮忠

被控訴人 宗教法人長勝寺

右訴訟代理人弁護士 佐々木功

主文

当審における控訴人の新たな請求を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

一、(一)控訴代理人は、さきに「原判決を取り消す。被控訴人は、別紙物件目録記載の土地につき神奈川県知事に対し農地法第五条による許可申請手続をせよ。被控訴人は、控訴人に対し別紙物件目録記載の土地につき右許可がなされたことを条件として、所有権移転登記手続をせよ。訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。」旨の判決を求めたが、当審における、後の口頭弁論期日において、さきの訴えを交換的に変更して、「被控訴人は、控訴人に対し金一、一〇〇万円及びこれに対する昭和四八年六月三〇日から支払ずみまで年五分の金員を支払え。訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。」旨の判決を求めた。

(二)被控訴代理人は、控訴棄却の判決を求めた。

被控訴代理人は、控訴人の前記訴えの変更につき、当審における昭和四八年六月二九日午前一〇時の口頭弁論期日において、異議がない旨を述べたが、同年九月二六日午前一〇時の口頭弁論期日において、右陳述を撤回し、「控訴人の右訴えの変更は、請求の趣旨及び原因を変更するものであって、かつ、旧訴(買主控訴人、売主被控訴人間における別紙物件目録記載の売買契約にもとづく売主の義務履行請求)の取下げと新訴(右売買契約の履行不能にもとづく損害賠償請求)の提起をともなうものであるところ、若しこれが容認されるとすれば、被控訴人は、新訴につき、今後更に長年月の応訴を余儀なくされ、かつ旧新については原審において長年月を掛けて勝訴判決を得た被控訴人の努力がすべて徒労に帰する。従って、右旧訴の取下げに同意しない。」旨を述べ、なお新訴につき請求棄却の判決を求めた。

二、当事者双方の事実上の主張並びに証拠の関係は、双方において次のとおり附加陳述し、控訴人において新たに甲第四号証、第五号証の一ないし三を提出し、当審における控訴人本人尋問の結果を援用し、被控訴人において右甲号各証の成立をいずれも認めると述べたほかは、原判決事実摘示と同じであるからここにこれを引用する(ただし、原判決三枚目表一行目から二行目にかけて、「附近居住者と親しく話しあっていた事実があり、」とあるのを「その際同人は、本件土地附近の居住者とも親しく話しあっており、かような同人の言動を控訴人において直接見聞したほかに、」と改める。

控訴人の附加した主張及び訴えの変更にともない附加した請求の原因

(一)訴外高橋芳之助は、被控訴人所有の別紙物件目録記載の土地(以下、本件土地という。)につき被控訴人を代理して売買契約を締結する権限を有した。すなわち、被控訴人の代表役員(住職)は、昭和二八年被控訴人が宗教法人として設立されて以来、高橋芳之助の実弟の高橋海定であり、芳之助は被控訴人の境内の一部に居を構え、被控訴人の委任にもとづき被控訴人所有の土地、建物を賃貸し、賃料を徴収する等の事務をとり行ない、芳之助自身被控訴人の財産管財人をもって自任していた。被控訴人の代表役員は、その後右高橋海定から現在の代表役員である久村諦道に変ったが、久村が代表役員となった後においても、被控訴人は従前と同様に、境内の住居に住み、被控訴人の財産管理人としてふるまっていた。そうして、訴外日本電建株式会社新橋営業所は、昭和二八年ごろ芳之助から被控訴人所有地の賃貸のあっ旋依頼を受け、同営業所従業員の安井盛已が現地に赴いて調査のうえ芳之助に関する右事情を確認し、右依頼による賃貸借契約のあっ旋をして、これを三件くらい成立させたのであったが、被控訴人からはなんらの異議の申入れがなく、そのあっ旋にもとづく契約関係は、現在でも存続している。安井は、その後右訴外会社新橋営業所から他に転勤し、本件土地の売買契約は、同人から事務引継ぎを受けた同営業所の従業員瀬下三郎が控訴人、被控訴人間の右取引をあっ旋したのであったが、事務引継ぎに際し、瀬下は安井から芳之助に関する右事情の詳細を聞かされており、控訴人も瀬下から芳之助に関する右事情を聞かされていたうえ、芳之助は、本件売買契約の締結に際し被控訴人の右売買に関する委任状こそ呈示しなかったけれども、被控訴人の財産管理人である旨を申し述べていたほか本件土地を含む被控訴人所有地に関する造成図面(甲第二号証の一、二)を持参して右瀬下及び控訴人に示したのであった。

かようなわけであるから、芳之助が被控訴人から本件土地の売渡しを委任され、被控訴人からその旨の代理権を授与されていたことは疑いを入れない。

(二)仮りに、芳之助が本件土地の売買につき被控訴人を代理する権限がなかったとしても、芳之助には、少なくとも被控訴人の所有地につきこれを他に賃貸する代理権があったことは、前記のとおりである。そうして、日本電建株式会社新橋営業所と被控訴人の代理人としての芳之助との取引は、古く昭和二八年ころに遡り、同営業所において芳之助の依頼により被控訴人所有地につき賃貸借をあっ旋し、前記のとおりこれを成立させ、かつ、これにつき被控訴人側からなんらの異議がなく、その賃貸借を存続させてきたのであって、かような実績、芳之助自身に関する前記の事情及び本件売買契約締結に際しての同人の言動等によれば、右訴外会社営業所の担当社員において芳之助が本件売買契約締結につき被控訴人の代理権があると信じたのは当然のことである。同訴外会社は、日本全国に支店を有する大企業であり、控訴人は、このような会社の従業員から右訴外会社と芳之助間の過去の取引に関する事情、芳之助自身と被控訴人との間に存する右事情のいっさいを聞かされ、自らも芳之助自身についてこれらが相違のないことの確認を得たうえ、更に本件売買契約締結に際し、同人の前記のような言動を見聞したため、芳之助が被控訴人を代理して本件売買契約を締結する権限を有するものと確信したのであって、控訴人がかように信じたことにつきなんらの過失がない。被控訴人のような宗教法人がその所有不動産を売却処分するには、当該宗教法人の規則に定めるところによることを要するが、かような規則はいわば内部規則であって公開されたものではないから、控訴人においてこれを調査しなかったことを責めるのは一般取引の通念からすれば難きをしいるものというべきである。

従って、芳之助が被控訴人を代理して控訴人と本件売買契約を締結した当時、すでに被控訴人の財産管理人としての地位を失ない本件土地の処分につき代理権がなかったとしても控訴人において芳之助がその代理権を有すると信ずるにつき正当の事由があるから、表見代理の法理により被控訴人は、売主を被控訴人とする右売買契約の効力が自己に及ぶことを否定することができない。

(三)(訴変更にともなう請求の原因の追加)

1.本件土地は、控訴人が被控訴人の代理人である高橋芳之助から買い受けたものであり、仮りに芳之助において本件土地の売渡しにつき被控訴人を代理する権限がなかったとしても、表見代理の法理により被控訴人は本件土地につき売主としての責任をまぬがれないことを理由として、控訴人は、さきに被控訴人に対し、本件土地につき神奈川県知事に対する農地法第五条による許可申請手続をなすべきことと、その許可があることを停止条件として本件土地についての所有権移転登記手続をなすべきこととを求めた。

2.ところが、被控訴人は、右各手続をせず、またその引渡しをもしないで、かえって、昭和四四年四月一五日本件土地につき訴外帝都興業株式会社のため別紙登記目録一(二)の(4)ないし(8)記載の内容の地上権を設定し、同年五月七日横浜地方法務局鎌倉出張所受付第六七七〇号をもってその旨の停止条件付地上権設定仮登記を経由した。そうして、その後右地上権は、同会社から訴外株式会社鶴岡開発に、同会社からさらに訴外宗教法人大覚寺に、順次譲渡され、その地上権の移転につき別紙登記目録二、三記載のとおりの附記登記が経由された。それのみならず、被控訴人は、昭和四六年六月ごろから本件土地上に墓石その他の祭葬用工作物を建立し、これを墓地として使用している。

右のような本件土地の現況及び本件土地についての地上権の設定により、控訴人は本件売買の目的である建物の建設を断念せざるを得ず、結局、被控訴人は、その責めに帰すべき事由により本件売買契約の履行を不能にしたものというべきである。

本件土地は、国鉄横須賀線鎌倉駅の附近にあり、その更地価格は昭和四八年当初において三・三平方メートルにつき金二〇万円、本件土地の総面積一八一・五平方メートルにつき一、一〇〇万円を下らないから、控訴人は、さきの訴えを交換的に変更して、新たに、被控訴人に対し本件売買契約の履行不能によるてん補賠償として右同額の金員及びこれに対する昭和四八年六月三〇日(訴の変更に関する昭和四八年六月二九日付準備書面が当審口頭弁論期日において陳述された日の翌日)から支払ずみまで民法所定の年五分の遅延損害金の支払を求める。

被控訴人の認否及び附加した主張

(一)控訴人の(一)、(二)の主張はすべて争う。

本件売買契約は、高橋芳之助がなんらの権限もないのに被控訴人に無断で締結したものである。控訴人主張のような諸事実をもってしても、本件売買契約につき控訴人主張の表見代理の成立を肯定し得べきものでない。

(二)控訴人主張の(三)の事実中、本件土地につき別紙登記目録記載のような地上権設定登記並びにその移転の附記登記が経由されたこと、本件土地の現況が墓地であることは認めるが、その余の点をすべて争う。

理由

一、まず、控訴人の訴え変更の適否につき判断する。

控訴人がさきに、被控訴人との間において本件売買契約の効力が被控訴人に及ぶことを前提として、被控訴人に対し、本件土地につき神奈川県知事に対する農地法第五条による許可申請手続をすべきこと、右許可があることを停止条件として本件土地につき本件売買による所有権移転登記手続をすべきこととを請求した(旧訴)ところ、後に当審において、右売買契約の効力が被控訴人に及ぶことを前提として、その売主の義務が履行不能に陥ったものとして、その履行に代わる損害賠償の支払を求めるための新訴を提起し、右旧訴と新訴とを交換的に変更したものであることは、本件訴訟の経過及び控訴人の主張自体に徴して明らかである。

民事訴訟法第二三二条によれば、請求の趣旨及び請求の原因の変更(訴えの変更)は、請求の基礎に変更がなく、かつ、これにより著しく訴訟手続を遅滞せしめることがない場合に許されるものであり、この変更は、右要件を充たす限り、控訴審においても許されるものと解すべきであるが、控訴人の右新訴による請求は、本件売買契約上の売主の義務につき履行に代わる損害賠償の支払を求めるものであって、旧訴による請求とほとんど同一の事実関係を基礎とするものであるから、右両請求は請求の基礎を同じくするといわなければならない。そうして、新訴による損害賠償請求については、少なくとも、本件土地が控訴人主張のように墓地として使用されている等により原状回復が困難であり、結局本件売買契約上の売主の義務が履行不能となったかどうか、及びその損害の数額がどれほどに算定されるかという諸点を審理、判断することを要することが明らかであるが、本件訴訟の推移に鑑みれば、かような審理に要する日数を考慮に入れても、そのため著しく本件訴訟手続を遅滞せしめるものと認めることができない。従って、控訴人の訴えの変更は許されるものといわなければならない。

次に、右訴えの変更により控訴人は旧訴につき取下げの意思表示をしたと解されるところ、被控訴人は、一たん右取下げに異議がない旨述べながら(訴の交換的変更に異議がない旨の意思表示は、旧訴の取下げに対する同意の意思表示を含むものと解される。)後にこれを撤回して右旧訴の取下げに同意しない旨を述べるに至った。

しかし、訴えの取下げの同意は、訴えの取下げによる訴訟の終了を確定させる効果をもつものであって、その撤回が許されるとすれば、訴訟手続の安定が害されることとなるので、訴の取下げにつき一旦なされた同意は撤回することができないものと解するのが相当である。従って、控訴人の右旧訴についての訴えの取下げは、被控訴人がさきにした取下げの同意により、確定的にその効果を生じたものといわなければならない。

よって、以下、右訴えの変更により控訴人が提起した新訴についてのみ判断することとする。

二、控訴人は、昭和三四年一二月一八日売主である被控訴人の代理人高橋芳之助との間において本件土地の売買契約を締結したから、被控訴人はこれにより本件売買契約につき売主としての義務がある旨主張するので、この点につき判断する。

(一)<証拠>を総合すれば、訴外高橋芳之助が昭和三四年六月ころ訴外日本電建株式会社新橋支店に赴き、同営業所従業員瀬下三郎に対し「自分は被控訴人の所有地の管理をしている、被控訴人において本堂の改築等の経費調達の必要があり、被控訴人所有の土地三筆合計約四〇〇坪の売却のあっ旋をしてもらいたい」旨を申し述べ、その旨の依頼をしたこと、本件土地は芳之助が右売却のあっ旋を依頼した土地の一部であったこと、控訴人は、それ以前から日本電建との間に住宅給付契約を結び、そのための掛金を継続して積み立てていた右営業所の顧客であったこと、日本電建は、不動産売買等の仲介を本業としていたわけではないが、本業の遂行上顧客に建築用地をあっ旋する必要があるところから、附随的な業務として、その従業員に、用地の売買、賃借等のあっ旋、仲介を行なわせていたこと、このような事情から右営業所の瀬下らが同年一〇月ごろ控訴人に芳之助の右依頼の趣旨を伝達し、これを紹介したこと、そうして、控訴人は右瀬下らとともに現地に赴き、芳之助に面接して、同人が被控訴人から上記土地の処分を任されている旨の確認を得、更に同人の案内により寺の裏山にあたる本件土地を含む面積九四坪余の土地その他の土地を現地について見分したこと、控訴人は資金のつごう上本件土地のみを買い受けることとし、同年一二月一八日芳之助の住居(後記のように被控訴人の境内の一部にあった。)において芳之助との間で、本件土地を代金三八万五、〇〇〇円で買い受けることとし、内金二〇万円は契約締結と同時に、残金は右土地につき控訴人に対する所有権移転登記が経由されるのと同時にこれを支払う旨の約束を結び、同日その旨の売買契約書(甲第一号証)を作成したこと、この契約書は、右の合意ができた後、瀬下に同行した日本電建の従業員高田某が記載したものであるが、その際、芳之助より、自分の兄高橋海定が被控訴人寺の住職であるから所有者兼売主として「高橋海定」を表示してもらいたいとの申出があったところから、高田において所有者兼売主として右申出どおりの記載をし、その記名下に芳之助が「高橋」の刻印のある印鑑を押し、控訴人の氏名下には控訴人が自らその印を押したものであること、控訴人が右内金二〇万円をその場で芳之助に支払ったこと、以上の事実が認められ、右認定を妨げるに足りる証拠はない。

右事実関係のもとにおいては、(売買契約書には所有者兼売主として「高橋海定」が表示されているとはいえ、)芳之助は、本件土地の売却に関するいっさいを被控訴人から委任された代理人として、控訴人と売買の折衝をし本件土地の売買契約を締結したものと認めるのが相当である。

(二)そこで、芳之助が果して被控訴人から右売却の委任を受け、その代理権を与えられていたかどうかにつき判断する。

1.<証拠>をあわせれば、次の事実を認定することができ、この認定を妨げるに足りる証拠はない。

(1)被控訴人が昭和二八年九月宗教法人として設立されて以来、訴外高橋海定がその代表役員(住職)となっていたが、同人はその後東京都内の寺の住職として転出し、昭和三三年八月一八日をもって被控訴人の責任役員を辞任した。

(2)海定は、右辞任に際し、後任の代表役員として、師弟の関係にあり、かつ、自己の甥にあたる久村諦道(現在まで引き続き被控訴人の代表役員をしている。)を推せんし、関係者の承諾を得て、久村が海定の辞任の日にその後を襲って、責任役員に就任し、同年九月五日右辞任及び就任の各登記が経由された。そうして、久村は、海定の転出後、海定に替って、被控訴人寺に住職として居住していた。

(3)芳之助は海定の兄にあたり(久村の叔父にもあたる。)、従前から被控訴人寺の境内で、門内附近にある被控訴人所有の独立家屋に家族とともに居住していた。そうして、芳之助は、海定とのこのような関係から海定が住職・代表役員として在職当時、被控訴人の財産管理人と称して日本電建を訪れ、被控訴人所有地の賃貸につき仲介を依頼し、同会社の従業員の仲介で被控訴人所有地につき賃貸借契約を取り決めたことが二、三件あり、賃料の徴収も行なっていたが、海定は、住職として在職当時、芳之助の右所為になんら異議を述べず、これを承認していた。しかし芳之助の言動は、他の責任役員らの不評を買っていたため、海定が前述のように転出し、被控訴人の住職が交替するのを機に芳之助と被控訴人寺とのいっさいの関係を断ち、右住居からも立ちのきを求める旨が責任役員らの間において決定され、久村が代表役員に就任した直後から同人は芳之助に対しその旨を甲に渡し、昭和三四年中には立ちのき料として約一〇〇万円の支払をし、芳之助もこれを了承して本件売買のあった後右住居から退去した。

2.<証拠>をあわせれば、芳之助が前記のように日本電建新橋営業所に本件売買のあっ旋依頼をし、同営業所の瀬下らの仲介により控訴人との間に本件売買契約の締結を見るに至るまで、その当時の代表役員久村諦道(同人は、前記のように、昭和三三年八月一八日以降引き続き現在まで代表役員である。)は、控訴人や瀬下らの来訪を受けたこともなく、同人らからはもとより、芳之助からも、本件土地の売買につきなんらの知らせも、連絡も受けておらず、本件売買契約が締結された当時、まったくその事実を知らなかったこと、従って、久村が芳之助に対し本件土地の売却についての委任状等を渡した事実も、もとよりなかったことが認められ、この認定に反する証拠はない。

3.なお、<証拠>をあわせれば、本件土地は、もと被控訴人所有のものであったところ、昭和二三年一〇月二日訴外大野松子が自作農創設特別措置法第一六条による売渡しによりその所有権を取得し、その旨の登記を経由していたこと、その後久村諦道が被控訴人の代表役員に就任した後被控訴人寺にこれを買い戻すこととなり、大野と折衝のうえ昭和四二年七月二六日被控訴人が大野からこれを買い受け、その旨の所有権移転登記を経由したことが認められ、前掲瀬下三郎の証言及び控訴人本人尋問の結果をもってしても右認定を動かすに足りず、その他にこの認定をくつがえすに足りる証拠はない。従って、本件土地は、本件売買契約締結時においては大野松子所有のものであったと認めるほかない。さらに、前掲証人山田徳太郎の証言及び被控訴人代表者久村諦道の尋問の結果並びに本件口頭弁論の全趣旨によれば、被控訴人寺においては、寺の規則により、寺の不動産を処分するについては、檀徒総代の意見を聴き日蓮宗の代表役員の承認を受ける等の手続をとらねばならないこととなっているが、本件売買契約締結当時、久村が右のような手続をとった事実もなかったことが認められ、この認定に反する証拠はない。これらの事情から、本件売買契約締結当時、代表役員久村に、差し当たって、本件土地を売却する意思のなかったことは明らかである。

以上1ないし3の諸事実を総合して考えれば、芳之助は、その弟高橋海定が被控訴人寺の住職・代表役員として在職当時においては、被控訴人所有地の事実上の管理人として、これにつき賃貸借契約を締結し、賃料を徴収する代理権を与えられていたと認める余地がないではないが、被控訴人の住職・代表役員が久村に交替すると共に右の地位、権限を失ない、本件売買契約当時においては、売買契約締結の代理権が与えられていなかったのはもとより、賃貸借契約の締結や賃料徴収についての代理権も、まったく失なわれていたものと認めざるを得ない。従って、本件売買契約の締結は、芳之助の無権代理によるものであることは明らかである。

三、そこで、進んで、表見代理の成否について考えてみる。

まず、以上認定の事実関係によれば、芳之助は、本件売買契約締結当時、被控訴人からなんらの代理権を与えられておらず、従って、民法第一一〇条の表見代理が成立するための要件である基本代理権の存在が認められないのであるから、同条の表見代理の成立を肯定することのできないことは、いうまでもないところである。しかしながら、芳之助は、高橋海定が住職・代表役員として在職当時、被控訴人所有地の事実上の管理人として賃貸借契約締結等について代理権を与えられていたと認める余地のあることは前述のとおりであるから、事情のいかんによっては、民法第一一〇条及び第一一二条にもとづく表見代理の成立が問題となり得るものと思われるので(なお、控訴人の主張のうちには、両条を根拠とする表見代理の主張も含まれているものと解される。)、次に、右両条にもとづく表見代理の成否につき考察する。

思うに、不動産の売買取引のような重要な財産の取引を行なおうとする者は、その取引の相手方が本人ではなく代理人であるときは、代理権の存在を証するに足りる委任状等を徴するか、若しくは、少なくとも本人所有名義の権利証の呈示を求める等の方法により(代理人と称する者が本人名義の権利証を所持することは、一応、代理権の授与を推測させることとなる。)、代理権の存在を確認する手続をとるべきものであり、若しこれらの書類が相手方から納得すべき理由なくして呈示されなかったときは、代理権授与の有無を直接本人に問い合わせる等の方法をとるべきことは、常識上、当然の注意義務に属するものといわねばならない。ところが、控訴人も、売買の仲介に当たった瀬下らも、当初の折衝から契約締結に至るまでの全過程を通じて、芳之助にこれらの書類の呈示を求めたという事実は、証拠上、まったく認めることができない。しかも、控訴人は瀬下らとともに現地に赴き、寺の境内にある芳之助の住居を訪れているのであるから、同じ寺に居住する住職・代表役員の久村を訪ねて代理権授余の有無を確認することは容易にできたはずであるのに、控訴人らが当時久村に面接した事実も問い合わせをした事実もなかったことは前認定のとおりである。

もっとも、控訴人らがこのように芳之助の代理権を確認することをおろそかにしたについては、それなりの事情がなかったわけではない。すなわち、高橋海定が被控訴人寺の住職として在職中、日本電建においては、その仲介により、芳之助との間で、被控訴人所有地につき賃貸借を成立させたことが二、三件あったことは前述のとおりであって、前記瀬下は、前任者からの引継ぎによりそのことを知り、自分自身も芳之助からそのことを聞かされて芳之助を被控訴人寺の財産管理人と信じていたこと、ひいて瀬下から芳之助の紹介を受けた控訴人も先入的にそのように信じたこと、控訴人自身も瀬下らと芳之助の住居を訪れ、芳之助と海定との関係や、芳之助が寺の財産の管理を任されている旨の説明をうけて、なおさら芳之助を信用したこと(以上の事実のうち、すでに認定した事実以外の点は、前掲証人瀬下三郎、安井盛已の各証言及び前掲控訴人本人尋問の結果によりこれを認めることができ、この認定に反する証拠はない。)、芳之助は当時すでに寺から追放を決定されていた身であったが境内の住居の明渡の猶予を受けてなおそこに居住中であったことも前述のとおりであって、芳之助は、右述のような、寺の財産管理人であるかのような言動をしているほか、本件売買契約の締結に際して、現地の実測図面(甲第二号証の一、二)を呈示する等の行為があったこと(図面呈示の事実は、前掲甲第二号証の一、二、瀬下証言及び控訴人本人尋問の結果によりこれを認めることができ、この認定の支障となるほどの証拠はない。)以上のような事情は、控訴人が芳之助を被控訴人の代理人と信じたことにつき同情さるべき事情であることは、否定し得ないところである。

しかし、財産管理人として寺の所有地につき賃貸借契約締結等の権限が認められていたということは、当然に、右土地の売却についての代理権を与えられていたことを意味するものではない(なお、芳之助が本件売買契約締結前に、被控訴人寺を代理してその所有地を売却したという事実は、これを認めるに足りる信頼のできる証拠はない。)から、土地の売買について芳之助を代理人として契約を結ぶについては、あらためて、芳之助から委任状等を徴するのが当然である。ことに、日本電建は、土地の売買等の仲介を本業としていたわけではないにしても、これを附随的業務としていたことは、前認定のとおりであるから、その担当職員であった瀬下としては、当然、被控訴人寺の代表者の資格を証明するに足りる書面及び印鑑証明書を添付した右代表者の委任状を呈示させるくらいの気はついて然るべきであったといわねばならない。前掲瀬下証言によれば、瀬下は日本電建の新橋営業所に着任してから間もなくのことであり経験も浅かったため注意が足りなかったというのであるが、前述のように、日本電建が不動産売買の仲介をも附随的業務としていたことから考えれば、たまたま、担当の職員が経験が浅かったということによっては、同会社は、過失の責めを免れ得るものでない。そうして、被控訴人対控訴人との関係においては仲介人である日本電建(具体的には瀬下)の過失は、結局、控訴人側の過失とされることはやむをえないところであって、同会社が控訴人主張のような大企業であったため控訴人がその仲介を信頼したというような事情は、被控訴人に対する関係における控訴人側の過失を免れしめる理由となるものではない。

なお、本件売買契約締結当時、農地解放により、目的地の所有者は大野松子となっていたことは前述のとおりであって、前掲瀬下証言及び控訴人本人尋問の結果によれば、控訴人は、契約締結前に登記簿謄本をとりそのことを知っていたが芳之助から、その間の事情について農地解放により寺の土地をとられないようにするため檀家の一人である大野名義にしてあるだけで、いずれは寺に取り戻すことになっている旨の説明を受けてこれを信用したというのであるが(控訴人らが強いて土地の権利証の呈示を求めなかったのは、このような事情も手伝っていたものと思われる。)、このような複雑な事情にある不動産を代理人を通じて買い受けようとするのであれば、なおさらのこと、このような複雑な事情を解消しないままで、芳之助にその処分を任せているのかどうかにつき、寺の代表者本人に問い合わせるのが当然であろう。

それのみならず、甲第一号証の本件売買契約書には、売主兼所有者として「高橋海定」の記載がなされ、これは芳之助の申出によりその旨記載されたものであることは前認定のとおりであるところ、原審及び当審における控訴人本人尋問の結果によれば、控訴人は高橋海定即被控訴人寺と思い込んで、その旨を了承したものであったことが認められる。しかし、控訴人としては、被控訴人を売主として契約を結ぼうとしているのであるから、契約書上に、なにゆえに被控訴人寺そのもの若しくは被控訴人代表役員の肩書を附した氏名が表示されないのであるかにつき芳之助に問いただし、納得し得る説明が得られないときは直接代表役員にその事情を問い合わせる等の措置をとるべきものであろう。

以上の諸点から考えれば、控訴人側は、代理人を介して不動産を買い受けるに当たって、常識上、当然払うべき注意を怠っていたことは明らかであり、この注意を払いさえすれば、芳之助が当時すでに寺から追放を決定されていた身であって寺の財産の処分等につきなんらの権限も与えられていなかったことを容易に知り得たか、若しくは、少なくとも、これを知る有力な手掛りをつかみえたはずであったといわねばならない。

他方、被控訴人寺においては、昭和三三年九月五日付で(従って、本件売買契約締結の日よりも一年三か月以上前に)代表役員の交替につき登記を経由していること、芳之助については、すでに追放を決定し、ただ明渡を猶予して従前の住居に住まわせていたに過ぎないこと、新代表役員の久村は、本件売買契約の締結につき、芳之助からも控訴人側からも、なんらの連絡も知らせも受けていなかったこと、これらの事実は、すべて、さきに認定をしたとおりである。してみれば被控訴人寺の側には、芳之助が寺の代理人であるかのようにふるまったことについて、格別責めらるべき点はなかったものというべきである。

以上一切の事情を総合判断すれば、芳之助が本件売買契約締結につき被控訴人を代理する権限を有しなかったことを知らなかったのは、控訴人側の過失によるものというべきであって、控訴人が芳之助に代理権があると信ずるにつき正当の理由は存在しなかったものと認めざるをえない。従って、被控訴人所有の不動産の処分については、代表役員の権限に、寺の規則により、手続上、一定の制限が加えられていたことを控訴人側が知らなかったことが表見代理の成否の判断に影響を及ぼすかどうかの点に立ち入って考察するまでもなく、すでに、右述のような理由によって、民法第一一〇条及び第一一二条にもとづく表見代理の成立も否定さるべきものであることは明らかである。

四、そうすると、控訴人の本訴請求(新訴)は、その余の争点につき判断するまでもなく、理由がないからこれを棄却することとする(旧訴については、前記のように訴の変更にともなう取下げにより消滅したから、判断の要がない。)。

よって、控訴費用の負担につき民事訴訟法第九五条、第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 白石健三 裁判官 川上泉 間中彦次)

<以下省略>

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